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白昼夢で踊る犬

本書に一切真実はない。全ては真っ赤な嘘である。

死の都の風景。

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桜がみぞれと共に舞い散る中オトー・ドフ・クルカ「死の都の風景」を読了。

著者は幼少時代にアウシュビッツの家族収容所に収容される。

これは個人的体験をテープ録音起こしと日記にまとめたもの。

いくつかブログにメモしておきたい点がありました。

子供棟のバラックには合唱団の指揮者がいて、歌ったのはベートーヴェンの歓喜の歌だったという。

ベートーヴェン交響曲第9番でシラーの詩を歌う歓喜の歌。

それを収容されたユダヤ人少年達が歌う。

アウシュビッツのクレマトリウム、人が無限に焼かれ処分される場所から数百メートルしか離れていない場所で歌われる歌。

指揮者がそれを選んだ理由と意味を作者はのちに考える。

その考えは答えは出していないがそこで歌った者でしか出し得ない問題だ。

もう一つ。

二十歳前後の無名の詩人の作品の存在だ。

ガス室の入り口で1人の若い女性がカポにその作品を渡す。

3つの詩で

「わたしたち、死者は、告発する!」

「異国の墓」

「わたしは滅びるほうがいい」

どれも痛烈な気持ちを描いているものだが特に私は最後の詩に目がさめるような思いだ。

「それでもわたしは滅びるほうがいい

あなたたちから顔に唾を吐かれても

わたしは臆病者として死ぬほうがいい

この手を血で染めるくらいなら」(一部抜粋)

ホロコーストから生き延びた者達の本を何冊か読むが彼ら彼女らには不思議と相手に対する憎悪はあまり感じられない。

もちろん許してはいない。

でもそれよりも切実なのは彼ら彼女らのどうしようもない絶望感だ。

それと共にこの詩からガス室と分かっていて収容されていく者でも失われない強さがあった者もいた、ということだ。

殺す者に「あなたのようにはならない」と。

いきなり日常的な話題にそれてしまって申し訳ないが私は村上春樹のエッセイにかかれていた文章を思い出した。

記憶によると「誰かに傷つけられた時、ああ、誰かを傷つけた側でなくて良かったと思うことだ」というような内容で、私はこれを印象的にずっと心に置いてある。

「説明のつかない廃墟が残った。

歴史は説明のつかないものを説明しようとする。

それは真実の地から生じるがゆえに、説明のつかないまま終わることになる。」(カフカによる寓話から)

結局著者がこのことを振り返るたびに一番著者の救いになっているのはカフカの物語じゃないかと、そう思った。

説明出来ない、同じ体験をしても同じ感じではないその人が持つリアルな実感というのは理論立てて整理出来ることではもちろんない。

それでも本にしてもらえると読者としてはそのやりきれないヒリヒリした思考に触れて何かを感じることが出来るので感謝したいと思う。

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