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白昼夢で踊る犬

本書に一切真実はない。全ては真っ赤な嘘である。

自分の思考と体感と村上春樹。

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Photo・hideki hiruta

写真は私の好きなフォトグラファー蛭田さんに撮って頂いたものです。

私は作家・村上春樹が猛烈に好きなのですが一番最初に読んだのは確かちょっと遅く高校1年生の時なんですね。

ダンス・ダンス・ダンス」でした。

最初の「自己紹介の無意味さ」みたいな語りから最後までグッと掴まれっぱなしでそのあと慌てて刊行されてる彼の本、エッセイも含めて全部買い漁り読み漁りました。

2年間位没頭してたある日彼のエッセイにこんなことが書いてあったんです。

「他人が考えた大きなことより自分で考えた小さなことが重要」

私はその頃はもう村上春樹信者と言える位で考え方が全部村上春樹的になっていた。

それで「がーん!!私もしかして自分で考えてない!!」とだいぶショックでした。

という訳でとりあえず村上春樹断ちをすることにしました。

村上春樹が1番精通しているのはアメリカ文学だと思ってたので(後々考えたら全てに詳しかったのだが)アメリカ文学もとりあえず中断。

ラテンアメリカ、フランス、ドイツ、チェコ、ロシア、と何も道標のないまま読み始めました。

古典文学は残ってるだけあってアタリも多かったけど現代文学は現代文学で面白かった。

海外文学はそれまではアメリカ文学しか殆ど読んでなかったので他国の本は最初は多少読みづらかったけどそれも最初だけですぐに夢中になった。

読む時は五感を開いてズブズブと本に沈みこみ、ページを閉じた後の世界を見る目が変わることが興味深かった。

色んな作家の物語と文体と肌触りに触れてそこから自分の考え方や感じ方、何より「自分がここにいる実感」がありありと飲み込めた。

そうして1年間たった後にふと村上春樹をまた読みたいなと思った。

通学電車に揺られている時だ。

色んな人がいるなあ、とぼんやり思いながらまた村上春樹に会いたいなあって。

そして私はまた村上春樹を読んでみた。

それは相変わらず面白くて芯を突いてきて、でも「ちゃんと私はここにいた」。

1年間村上春樹断ちをしてきて、本で世界中の文学に触れて、それで村上春樹が好きだったらもうこれは本当に好きなんだから素敵じゃないか、と思いました。

村上春樹はこういうようなことを書いています。

「批評家は批評するのが仕事。

僕は読者の声が聞きたい。」

「僕のハウツー本がたくさん出ているみたいだけど個人的な意見を言わせてもらえれば、そんなものを読むよりそのお金で何か美味しいものでも食べながら僕の本に書かれてることについて自身で考えて欲しい」と。

これは音楽でも言えることですが、批評というのは殆どつまらないものが多い。

経験から言って面白いのは翻訳者の声、一般人の貪り読みしてる人達の声だ。

そんな切り口をしてくるかあ!ほほう!と思うお友達も、趣味に生きていたら沢山出会えた。

みんな真剣に語るのでこれはなかなかスリリングな体験でもある。

そして勿論私の譲れない芯もある。

押し付けはしないけども、自分が考えていることはこういうことよ、と提示出来るのは大事で、そこはブレてはいけない。

そうでなければ何かを書けないし、ピアノも弾けない。