白昼夢で踊る犬

本書に一切真実はない。全ては真っ赤な嘘である。

救いとは。

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私は基本的に「救いのない物語」が好きだ。

映画でも小説でもなんでも。

別にハートウォーミングされたくないので。

例えば最近観に行った映画「エレファント・ソング」はとても良い感じに救いがなかったけど1番最後にベンチで2人が寄り添うシーンは私にはとても蛇足であった。

「でもまあそこから破壊の始まりかもしれないよね」と観てしまう始末である。

ただ救いようがない物語というのは描くのに本当に難しい。

幸福の形は一つだけど不幸の形は千差万別みたいなこと言った有名な作家って誰だっけ?って思って適当なワードで検索したら分かりました!

トルストイアンナ・カレーニナ」冒頭の「すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である」

救いようのなさには鋭い着眼点が必要だし、それに伴う説得力がないとだいぶチープになる。

「こういう状況に置かれたらこうなると思ってたけどその発想はなかった!」というものがあると良い意味でその物語に酔ってしまう。

家族映画では「ツリー・オブ・ライフ」とか写真に原作を持っている「少年は残酷な弓を射る」は秀逸だった。

残念ながら廃刊が多いドン・デリーロもある意味救いがないし、ティム・オブライエンなんか本当にゴツゴツしてるけどそのスタイリッシュじゃないあからさまさがまた力強く救いがないし、皮肉を交えたユーモアでせめるカート・ヴォネガットなんかも実はコメディちっくにみせて同じく、なのだ。

ある種の救いがあるために救いがないのがカポーティかもしれない。

心温まる話でも何処か心を刺される。

近々観に行く映画で抉られそうなのは「ルック・オブ・サイレンス」。

それに向けて前作「アクト・オブ・キリング」をDVDで再鑑賞したのだが、殺しを喜んで再現していく最初の顔がどんどん変化していく様はドキュメンタリーならではと思った。

こうした突っ込んだドキュメンタリーは日本人には作れまい。

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