現代に息づく神話や民俗学や生と死。
上のPhoto Hideki Hiruta
被写体 私
下は写メ
日本は八百万の神という。
古事記はとっても面白い。
昔はあちらの世界とこちらの世界の分かれ目はなく同じ様に当たり前に存在していた。
その関係で小松和彦の著書も数冊読んだがこれがまた面白い。
特に「異人論」「悪霊論」は異人=妖怪=神とは?を主軸に事例を挙げるだけじゃなく彼の鋭い考察が日本文化の闇をくっきりと浮かび上がらせている。
ここでいう闇とは隠れているものということであり善悪ではない。
これを読むと無意識にも日本人の精神に通奏低音のように、足下を流れる地下深い水の轟音が聞こえてくる。
私が神話で好きなものにダンセイニの著書があげられる。
神話というのは不思議だ。
一見突拍子もなく思えるかもしれないのに読んでいる時には「実際に私が直面しているように」自分のための神話として入ってくる。
まあだから時の洗礼に負けずに残るのであろう。
ダンセイニはラヴクラフトに影響を与えたらしい。
昨今ブームなクトゥルフ神話。
ラヴクラフトはダンセイニの後に手を出し、まだ全部は揃えてないけどこの奇妙さ、想像の広がり、ブームになるのはとても良く分かる。
ラヴクラフト関係を漁っていたら黒史郎「未完少女ラヴクラフト」なる本を見つけて表紙に笑い、面白そうなので購入してみた。
これはまだ未読。
ちなみにラヴクラフト全集1と並べて写メってみました。
クトゥルフ神話の広がりは本当にすごいと思う。
海外では分からないがとりあえず日本ではすごい。
同人誌にも進出するし、読んでないがどうやらラノベにも盛り込んであるようだ。
エンタメとしても素直に楽しんでるのがまた現代と直結しているという「強さ」を感じる。
深くも読めるし単純に楽しくも読める。
そして書きたく、描きたくなる。
そこで引き合いに出したいのがジョーゼフ・キャンベルだ。
私は彼を知らなくて最近村上春樹がジョーゼフ・キャンベル「生きるよすがとしての神話」にはとても助けられた良書、と言っていたのを読みチェックしたのだが残念ながら「生きるよすがとしての神話」は絶版なのかAmazonで12,000円に跳ね上がっていた。
いちまんにせんえんかよ!!!
という訳でジョーゼフ・キャンベルをビル・モイヤーズがインタビューしていくような形の「神話の力」を購入して読んでいる。
彼はかなりの博識だ。
そして神話と現代の繋がりと断絶についてとても深い考察を持っている。
神話を通し真実を知ることが出来るのか?
喪失、死、生誕、喪失、死。
多々の世界の神話や宗教に触れつつ現代の在り方やその中に生きる私とは何か、というのは物語を使った哲学だ。
しかし多くの哲学(といっても実はそんなに理論だった哲学はよんでなかったです)のように理屈だてて組み上げていくのではなく、そこは神話によって生きる、つまりは物語によって生きるということが主軸なのでどんどん話は広がるし行き詰まりもない。
今度村上春樹の読書会の課題図書は「1Q84」なのだがこれは良いタイミングにジョーゼフ・キャンベルに出会えた。
あちらとこちら、そしていきなり飛ぶ繋がりのない世界との接点は、以前は村上春樹は夢に例えていたが神話に近いと思っているのではないだろうか。
実際夢といえば心理学に属するものになってきそうだがそれだけでは読みきれない広がり彼の作品には感じるのだ。
安直なメタファーの死である。
というかそれは彼の物語を殺してしまう、そこで終わり、というものになってしまう。
私は周りに蠢いている不思議であり不思議でない言葉にしたら物語に変換し、それをまた言葉にしたら物語に回帰するあやふやなものを触れて確かめたいのだ。
あ、雨月物語でも再読か原文では読めないので他の人の現代語訳の本買って読もうかな!